2012年9月26日水曜日

2012信越五岳トレイルランニングレース(その7・完)


つづき、これが最終回です。
2012年9月17日(月)


21時間43分で完走後、豚汁とおにぎりのサービスがあり、それを頂いて、すぐに、飯綱高原から、今夜?というか今朝の宿、閉会式会場のある妙高高原行きのバスの乗車待ちの列に並びました。並んでいるほとんどの人が制限時間ぎりぎりまで走ってきたので、疲労困憊で眠りに入る人多数でした。午前4時半にバスが来て、妙高高原へ、眠りから覚めると、すでに夜が明けていました。

午前5時半にチェックイン、着替え、お風呂を済ませ、6時過ぎに就寝、8時起床、朝食、午前9時50分にはチェックアウトして、旅館の車で、表彰式会場の妙高ふれあいパークへ向かいました。

この2日での睡眠時間は、合わせても5時間いくかいかないかで、体はかなり疲れているはずですが、完走したせいか、その疲れもなく意外と元気でした。

激走のランナーが集まっての10時半過ぎから表彰式が食事つきで賑やかに行われました。20時間前半までにゴールできていれば、木製の完走賞をその場で頂けたのですが、制限時間ぎりぎりのゴールだったので、残念ながら後日発送となりました。それでも、昨日のビデオ上映や写真掲載があり、昨日の暑かったレースについて、振り返りで盛り上がりました。



表彰式が終わり、送迎バスで長野駅へ、そのまま、安曇野の実家に寄って、一泊、ゆっくり睡眠をとって、火曜日に東京に戻りました。

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ということで、初めての山の110キロの挑戦が終わりました。

ウルトラマラソンと似ているようで、全く違って、かなり苦労しましたが、
前半から積極的に走って、暑くて厳しいところも踏ん張れたので、終始制限時間をあまり気にせず走れました。後半の険しい山のセクションも、貯金を使ってなんとか耐え抜いて、最後は眠ってしまったら、危なかったですが、過去4回で完走率が最も低い68.9%でしたが、無事完走することができました。

弱気にならず、完走することだけを考えて走れたのですが、集中力は20時間半までしか持たず、最後の1時間ちょっとは、緊張の糸がほどけたのか、よれよれでした。
それでも、約22時間中でしっかり食べることができたということも大きかったと思います。暑い中でも食欲はありました。暑さにも耐えられました。

ペーサーはいると、いないとでは、大きな違いがあると思いました。特に初参加の人は、ペーサーと一緒に走るとナイトトレイルは全然違ってくると思います。その分、タイムが後半伸びませんでした。

110キロ完走したことで、来年のUTMFの出場権をゲットすることになりました。
レース中は、信越より長くて険しいUTMFなんて、絶対に無理と思っていましたが、気になってUTMFのホームページをしばしばチェックしてしまう日々。ただ、山の経験をもっと積まないと危険なので、じっくり考えて決断したいと思います。

最後に地元の皆さん、大会事務局の皆さん、ボランティアの皆さん、長時間、不眠不休で大会を支えて頂いてありがとうございました。

選手の皆さんもお疲れ様でした。


ウルトラトレイル・マウントフジ

信越五岳トレイルランニングレース

LAP TIME

10km 1:09:57
20km 2:44:28 (1:34:31)
30km 4:42:14 (1:57:46)
40km 6:23:52 (1:41:38)
50km 8:10:38 (1:46:46)
60km 10:14:17 (2:03:39)
70km 12:31:11 (2:16:54)
80km 14:43:59 (2:12:48)
90km 16:52:55 (2:08:56)
100km 19:59:49 (3:06:54)
110km 21:43:32 (1:43:43)

1A 2:12:22 斑尾山菅川登山口(18.5km地点)
2A 3:20:13 斑尾高原レストランバンフ(23.9km地点)
3A 5:52:56 妙高高原兼俣(38.5km地点)
4A 8:22:45 黒姫高原第2駐車場(51.5km地点) 関門10:00:00
5A 11:31:50 笹ヶ峰高原乙見湖(66.6km地点) 関門12:30:00
6A 14:58:51 大橋(81.0km地点)
7A 16:12:30 鏡池(87.0km地点)
8A 17:20:46 戸隠スキー場ゲストハウス岩戸(92.3km地点) 関門18:30:00
102.3km 20:24:15

完走率:68.9%
(2011年74.1%、2010年70.8%、2009年76.6%)

参加賞:Tシャツ、テーピング類

ハイライト動画
(大会公式)
(筆者撮影)

2012年9月25日火曜日

2012信越五岳トレイルランニングレース(その6)

つづきです。

92.3キロを通過して、最後にして最難関の山越えがある。果たしてどれだけ大変なのか、警戒しつつ再び真っ暗闇の山の中へと入ってきました。

昼は景色を楽しめてよいのですが、夜は真っ暗で何も見えず、危ない思いもする、なのに、「何故、夜通しで走っているのだろう。昼だけで十分。」と今さら、どうしようもないことを、頭に浮かべながら、思考能力もかなり疲弊しながら、登っていきました。

そして、追い打ちをかけるように、壁のような坂が行く手を立ちはだかりました。
直登。ここに来て、角度の険しい坂、ちょっとずつしか進みません。10数メートル登っては、木にもたれかかって、呼吸を整えて、再び、登るという繰り返し、辛くて、辛くて仕方ありませんでした。

ようやく登り切ったと思ったら、今度は、開けた野原に出て、さらに長い長い登りが待っていました。これが、噂の「瑪瑙山」か。「この大会、走れるトレイルが売りだったはずなのに。。。」と、また、今更の嘆きをつぶやきながら、我慢して登り続けました。

幸い前後に多くのランナーが登っていたので、遅れ気味になりながら、ひたすら前についてきました。雨も落ち始め、霧がかかり、風も強く吹き始めました。深夜0時にこの集団は、いったい何をしているのだろうと思いつつも、やっとの思いので、瑪瑙山頂に到着しました。

時間も気になり始め、今度はスキー場の坂を一気に駆け下ります。とはいっても、夜、時折、溝があり、思い切って走れません。こちらも前の集団についていき、瑪瑙山との戦いは終わりました。



すでに90キロ地点からとっくに2時間以上たっているのになかなか100km地点が現れてきません。20時間台でゴールできるのではと、甘い予想は打ち砕かれて、制限時間との戦いになりそうです。

山道の小刻みの上り下りは、集団に離されないように注意しながら走り、ようやく100km地点に到着しました。19時間59分49秒、この10kmは、瑪瑙山との格闘で、3時間6分を費やしてしまい、残り10kmを2時間、あとは下り中心のようですが、ちょっと気を抜けば完走が危うくなります。疲れた体に鞭を打って走りました。

下り坂、スパートをかけるランナーに遅れをとりつつ、着実に下って、102.3kmの最後の給水ポイントに到着しました。ここで、水と温かい飲み物で一息をついて、ラスト7.7km、残り1時間35分。キロ12分で歩いても完走できる。ちょっと安堵の気持ちになりました。



ラストの林道はフラットですが、気持ち上り坂で、走り始めるタイミングがなかなかつかめません。
一旦走っても、すぐに、歩き始め、いつまでも、変わらない景色に、ついに、睡魔が襲ってきました。

目を開けたり、閉じたり、目を再び開けると、林のはずなのに、建物やトンネルが幻覚のように現れて、ゴール地点が近づいたと思って走ると、林で、今までと変わらない景色、この起きているのか、寝ているのか、分からない状態が数十分続き、果たして、前へ進んでいるのか、全く分からず、寝落ちして、草むらに倒れそうになっていました。

後ろからはラストスパートで、ランナーが走りだしていく中、友人を発見、ようやく目が覚めて、再び一緒に走りだしました。残り2.7キロであと40分ほど、何とかなりそうです。

それでも、なかなかゴールらしき灯りが見えず、音も聞こえてきません。もどかしい時間です。
ほどなくして、眠いと言いながら猛ダッシュで走る友人と合流、自分が失速したことで、賑やかな雰囲気になってきました。

今まで違う形状の道になりゴールが近づいたことが分かりました。ようやくゴールの光が見え、飯綱高原のゲレンデを数百メートルかけ下ると、そこがゴールです。

深夜3時過ぎに、たくさん人達の出迎えの中、21時間43分、ついに110キロのゴールにたどり着きました。



長かった。辛かった。何とか耐えた。とえあえず完走できてほっとした心境でした。



ゴールしてから16分後、最終ランナーがぎりぎりにゴールして、午前3時半、22時間のレースが終了しました。



最終回につづく 



2012信越五岳トレイルランニングレース(その5)

つづきです。

70キロを過ぎて、完全に夜間走行が始まり、道に迷わないか不安がありましたが、コース誘導、案内板がしっかりしていて、その心配はいらなそうです。

73.3キロに給水ポイントがあり、ここで一息ついて、また登山道に入ります。



真っ暗になってからは、初めて登山道、自分の灯りだけを頼りに前に進みます。足元に対する不安で、思うようなスピードで行けません。ペーサー付きの二人組に、何度か抜かされます。夜になると1人は厳しいんだと実感しました。

足場の悪いところを登っているので、しばしば「沢に注意」の看板が出てきます。その看板を見るたびに「沢に注意⇒なでしこジャパンに警戒する米国チームか?」とくだらないことを考えて、自分で突っ込みを入れている。ある意味、限界まで追い詰められている状態になっていました。

長い登り坂を終えて、下り坂に入りましたが、険しい山道の急坂で、走ることができません。と思ったら、後ろからびゅんびゅんとランナーに抜かれていきます。真似して、走ろうとしたら、暗くて、石や木の根に引っかかって、こけたり、滑ったりしてしまいます。

昼間は、上りも下りも、他のランナーと比べてもそんなに遜色なかったと思ったのですが、夜になったら、山の経験差が如実に出てきて、抜かれる一方になっていました。

それでも時間をかけて下りきり、80キロ地点を通過14時間43分、この10キロも2時間12分、貯金を取り崩している状態が続いています。

舗装道路に入って、第6エイド(6A)大橋 81キロ地点に到着しました。スタートしてから15時間が経過しようとしていました。今何時なのか、時間感覚がなくなってきました。


ここでは、動けず、リタイアする人も何人か見かけました。完全に野戦病院と化していました。あまり時間に余裕がなくなってきている感じがしてきたので、早めにエイドを出て次を目指しました。

しばらく舗装道路で、多少住宅やお店もあり、自販機も見つけたので、今大会2度目の冷たいお茶を購入、気持ちがリフレッシュしてきました。

ライト点灯方法も、足元を照らしていたハンドライトは、あまり意味がないことに気づき、走るバランスをとるため、2メートル先を照らすヘッドランプのみで、走ることにしました。

ようやくリズムが回復して他に比べたらフラットな戸隠神社の参道に入って行きました。真っ暗なので、よくわかりませんが、鳥居は何となくライトで確認できます。長い長い参道の半分で左折、鏡池方面に向かいます。


静かな夜に、熊よけの鈴が鳴り響く、幻想的な光景(ちょっぴり怖い)の中、第7エイド(7A)鏡池87キロ地点に到着しました。

ここでは、同じ所属クラブの方が給水・給食のボランティアをされていたので、無事、再会できてほっとした気持ちになりました。この時点で、16時間12分(時刻は21時42分)、5キロ先の次のエイドが第3関門、残り2時間18分、大丈夫そうです。





第7エイドを過ぎると、他に比べると、小さな山道のアップダウン、もうこの辺りは何を考えていたか思い出せないほど、体は疲弊していて、何とか前へ前へ歩を進めていました。

90キロ地点は、16時間52分、この10キロも2時間9分近くかかって通過しました。

そして、第8エイド(8A) 戸隠スキー場ゲストハウス岩戸に到着しました。23時近くというのに、多くの方がエイドに応援に来てくれています。制限時間の午前0時より1時間10分ほど早く到着したことで、多少安心して、そばを座って食べました。






ゴールまであと17.7キロ残り4時間40分。ただ、コース地図を見ると、この先に、突起物のような高い山がありました。








つづく

2012年9月24日月曜日

2012信越五岳トレイルランニングレース(その4)

つづきです。



4A(51.5キロ)地点を離れると、いきなり壁のような坂が待っていました。昼寝をするには、最適な場所ですが、そんな余裕はありません。苦しみながら駆け上がると、コスモス畑が待っていました。



高原内を散歩している多くの観光客の中を疲れ切った表情で通り過ぎるランナー、正念場ですが、なかなか足が前に進みません。




しばらくして急坂は終わりましたが、緩やかな砂利道の上りが永遠と続きました。ちょっと携帯で、応援メッセージを確認しようと思ったら、圏外、孤独な戦いが続いています。



たまに大きな石を踏むと、足に衝撃が走り、苦しさが増してきました。さすがに、この地点はほとんど走ることができず順位を下げて、7キロぐらいの上りが終わり、今度は急な下り坂が始まりました。

60キロ地点は、10時間14分で通過、この地点で初めて10キロが2時間を3分超えてしまいました。このペースであれば完走は問題ないのですが、山ですので何が起こるか分かりません。

疲れて足が上がらなくなるので、下りは躓いたり、こけそうになることがしばしば、ぬかるみも多く体力が消耗していきました。



何とか下りきり、揺れる吊り橋へ、定員2人で、渡ってみると、ぶらんこのように大きく揺れて、ちょっと怖い思いをしました。




そして、ここから前方に筒状のものを発見、その横を九十九折りで、ひたすら上と登っていくランナー、どうやら西野発電所の導水管に沿って急坂を登るようです。

苦しみながら登っていくと、だんだん空腹状態に、エイドまではまだ距離があるので、初めて腰をおろし、ジェルなどバックから取り出して食べました。多少体が回復して、無事登りきり、コースは再び森の中へと入って行きました。ここは、地面が葉などクッションが多く、走りやすく、気温も下がって多少楽になってきました。







森の途中、「佐久長聖周回」の看板を発見、ここでも練習しているのだと思いつつ、笹ヶ峰高原の牧場地帯へ入ってきました。高校生が、ジョグなのに猛スピードで追い抜かれる中、ゆっくりと次のエイドを目指します。牛はのんびりとしていますが、一緒になってのんびりしていたら、第2関門に間に合いません。ゆっくり走りながら高原を抜け、キャンプ場で宴会が始まっている方々を恨めしく思いながら、第5エイド(第2関門)が近づいてきました。





このあたりから、Pと書かれたゼッケンの人が逆走してきています。これは66.6キロの第5エイドからゴールまで、ペーサーを付けることが可能です。
(今回私は、ペーサー紹介を希望したのですが、残念ながらペーサーの数が少なく、ペーサーがつきませんでした。)

ペーサーは、事前に特定のランナーにつくことが決められていますので、もしそのランナーが66.6キロまでに時間内にたどり着くことができなかったら、走ることができずに、このレースは終わってしまいます。特に今年は、暑くなってしまい棄権者がなので、様子が気になって逆走して、少しでも速くランナーの顔を見たいという心境の人が多かったと思います。

(ちなみに5Aは、携帯電話も圏外で、大会関係者の選手通過情報の無線連絡が唯一の情報源になっていました。)

第2関門(第5エイド)笹ヶ峰高原乙見湖66.6キロを11時間31分で通過、制限時間までは1時間の余裕、しかし、第1関門よりはその貯金を減らしてしまいました。


43キロを10時間半なので、何とかなるのではと楽観視していたのですが、ペーサー予定の友人に聞くと、そんなに余裕がないことが分かりました。ここでは、預けていた荷物の受け取りができるので、少し焦りながら、夜間走行用のライトを装着(初めてなので少し時間がかかりました。)ウィンドブレーカー着込んで、食べ物も少し早めに食べて、出発しました。

ここからは、ペーサーが付いている人は二人組で、ついていない人は単独で走ることになります。ダム湖から石段を登り、再び、山道に入り、辺りも徐々に暗くなってきました。





一旦、車も通れる広い砂利道に出て、70キロ地点通過12時間31分、エイドで多少ロスしましたが、この10キロも2時間16分かかってしまいました。

完全に真っ暗になって、ついにライト点灯、初めてのナイトトレイルがスタートしました。

つづく

2012年9月23日日曜日

2012信越五岳トレイルランニングレース(その3)

つづきです。

2A(23.9km地点)を過ぎると、再び、緩やかではありますが、上り坂が始まりました。ボディーブローのように、徐々に足に来始めます。気温も10時近くなり、上昇してきました。

それでも、変化に富んだ景色で、気持ちを紛らしながら、時折、一匹の蜂に何十メートルもまとわりつかれながら、登って行きました。
(昨年は、序盤で、蜂の大群に遭遇して、蜂に刺された人が多数発生したようですが、今年はそのようなトラブルはありませんでした)


30キロ地点を4時間42分で通過、この10キロは1時間57分、上り坂が続きましたが、2時間を切ってここも貯金ができました。


30キロを過ぎると、緩やかな下り坂が続きます。今、思うと、ここが最後の天国ポイント、まだ日陰なので、それほど暑くなく、心地よさを感じながら下っていきました。

ただ、このあたりで、通常のトレイルランの大会の距離、足にも相当負担がきて、スタート時のようなスムーズな走りはできていないなと感じました。

しばらくすると、妙高高原の街中へ、このコースの中で、一番標高の低いポイントにきました。長閑な風景ですが、良すぎる天気に、体力がどんどん消耗していくのを感じました。


第3エイドが近づいて、自動販売機を発見、この先、どこで遭遇するか分からないので、お口直しに、冷たいお茶を購入しました。

ほどなくして、第3エイド(3A)38.5km地点に到着、スタートから5時間52分、午前11時半近くで、暑さが増してきました。ランナーの会話を聞くと、例年より時間がかかっているという人が多く、コンディションはいつもより厳しいようです。


ここでも、エイドの食べ物は食べられるだけ食べて、名物冷やしトマトも丸ごと1個食べて、ハイドレーションに水も十分に補給して、次のエイド(第1関門制限時間10時間)に備えました。


3Aを離れると、関川沿いに上流に向かう砂利道が続きます。わずかな上り坂ですが、日差しを遮るものがなく、暑さが身にしみます。ここで、ほとんどの人が歩きはじめています。40km地点は6時間21分、この10kmは1時間41分で通過しました。


失速している人が続出する中、多少歩きつつ、走っていたら、徐々に順位が上がっていきました。この夏は、奥武蔵ウルトラ、北海道マラソンなど、暑いレースを経験していたので、たまに、川沿いから冷たい風が吹くのも感じて、遅いながらも踏ん張ることができました。


この暑いゾーンでは、途中、かぶり水や、私設エイド(冷やしみそ汁)、キャンプ場の水道があり、そこで頭を冷やして、生き返った気分で、前へと進みました。


長かった川沿いの道が終わり、再び、山の道に入りました。上り坂ではありますが、木陰になり気温が下がり一息つける感じです。



スタート時の元気はなくなりましたが、それでも、何とか上って、下って、途中の沢の水で、頭を冷やしたりして、50km地点を通過しました。8時間10分、この10kmは1時間46分、ここも2時間以内で、今のところ完走に向けた貯金が溜まってきています。


ほどなくして、黒姫高原の第4エイド(4A)第1関門に到着しました。8時間22分で、10時間の制限時間からは1時間38分余裕をもっていますが、体力的には、すでにいっぱいいっぱい、まだ残り半分以上もあると思うと、気が重くなってきました。


つづく

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マラソンの記録

【フルマラソン】

◆男子世界記録 2時間00分35秒 ケルビン・キプタム(ケニア) 2023年10月 シカゴマラソン (2分51秒5/km)

◆男子日本記録 2時間04分56秒 鈴木 健吾 2021年2月 びわ湖毎日マラソン(2分57秒7/km)

◆女子世界記録 2時間11分53秒 ティギスト・アセファ (エチオピア) 2023年9月 ベルリンマラソン (3分08秒/km)

◆女子日本記録 2時間19分12秒 野口 みずき 2005年9月 ベルリンマラソン (3分18秒/km)

◆自己記録  3時間37分32秒 2013年12月 青島太平洋マラソン(5分09秒/km)


【100km】

◆男子世界記録 6時間09分14秒 風見 尚 (日本)  2018年6月 サロマ湖100kmウルトラマラソン (3分42秒/km)

◆女子世界記録 6時間33分11秒 安部 友恵 (日本) 2000年6月 サロマ湖100kmウルトラマラソン (3分56秒/km)

◆自己記録 12時間13分41秒  2009年6月 サロマ湖100kmウルトラマラソン(7分20秒/km)

記録

【ハーフマラソン】
◆男子世界記録
 57分31秒 ジェイコブ・キプリモ(ウガンダ) 2021年11月(ポルトガル・リスボン)(2分43秒6/km)
◆男子日本記録 1時間00分00秒 小椋 裕介 2020年2月(香川丸亀国際ハーフ)(2分50秒6/km)
◆女子世界記録 1時間02分52秒 レテセンベト・ギデイ(エチオピア)2021年10月スペイン・バレンシアハーフマラソン (2:58.8/km)
◆女子日本記録 1時間06分38秒 新谷仁美 2020年1月 米国・ヒューストンハーフマラソン (3:09.5/km)
◆自己記録  1時間37分12秒 2013年11月 江東シーサイドマラソン(4分36秒/km)