2010年5月24日月曜日

2010軽井沢ハーフマラソン(その2 アフターレース総括編)

レース後は、電車かバスで移動する予定でしたが、雨だったので、走友のご好意で車に乗せて頂き、中軽井沢の「トラットリア ラ・パッキア」というお店に入りましたが、満席で20分待ちということで、向かいのパン屋さん「農工房 銀亭(しろがねてい)」へ立ち寄りました。お店に入った途端いい匂いがたちこめていたので、メロンパンやバゲットなどを購入しました。
http://www.karuizawa.co.jp/guide/eat/sirogane/guide.htm
(お取り寄せもできるみたいです。)
再びレストランに戻って、お店の名物のピザとパスタを頼んで皆で取り分けました。「イタリア製薪窯で焼き上げた直径28cmのナポリピザは、モッチリとした食感が好評の人気メニュー。地元の農家と直接契約し、信州の新鮮な素材がふんだんに使用された、体にも優しいメニューが揃う。」(ホームページより抜粋)ホームページ通り、モッチリとしたピザで美味しく頂きました。そして、ここは軽井沢にしてはお得な料金で千円ちょっとでお腹がいっぱいになりました。


http://ggyao.usen.com/0002143983/
その後は、旧軽井沢へ、しかし、大雨になってきて、いつもは賑わっているだろう銀座通りも閑散としていました。ミカドコーヒーのモカソフトも、寒過ぎて今日は食べれそうにありません。ということで、温かいコーヒーを求めて喫茶店に入りました。「珈琲歌劇」というレトロ調のお店、ブレンドコーヒー840円等 東京の銀座並みの値段に驚きつつも、落ち着いた空間の中で、コーヒーを楽しみました。
http://www.karuizawa.co.jp/guide/eat/coffeekageki/guide.htm

そして、最後は駅前のアウトレット「軽井沢プリンスショッピングプラザ」へ行きました。軽井沢駅を挟んで東と西の広大なスペースに衣料品だけでなく、食品、生活雑貨、レストランなどがあり、色々と買いたいものがあり、ついつい財布の紐がゆるみそうになりました。とりあえず、お土産用のお菓子と自宅用のジャムと塩を購入しました。
http://www.karuizawa-psp.jp/index.html
雨と風が強まり、新幹線の軽井沢駅のホームも真冬のような寒さの中、東京に戻りました。
家に帰ったら、早速、「銀亭」で買ったパンを食べました。美味しくてあっという間に完食しました。













大会総括
こんな感じで、個人的には雨の中、軽井沢ハーフマラソンを楽しみました。良くも悪くも軽井沢らしい大会でした。
「仮装の自粛要請」、「立ち小便厳禁」と参加案内にも書いてあり、応援もどこか上品で、参加料もハーフとしては5000円という高め、いわゆる「軽井沢価格」の設定で、軽井沢の高貴な雰囲気、グレードを維持していて、「紳士・淑女のランナーのための大会」という感じで、他の大会とは一線を画しているところが面白いと思いました。

コースについては、景色も応援も楽しめて記録も狙えるのでいいと思いますし、8時半スタートも、あの場所の道路事情を考えたらこれ以上遅くできないし、始発の新幹線の時間を考慮するとこれ以上早くもできないので、妥当な時間だと思いました。

某大会レポートを読むと、「公園内の大賀ホールの施設を利用すべき」、「有料駐車場へ誘導された」、「10時スタートにすべき」この大会への批判が多いですが、1回目で雨となると、想定外の仕事が増えるので、仕方ない部分が多々あったと思いますし、大賀ホールは音楽ホールで、体育館と違って非常にデリケートな作りになっていますので、泥だらけのランナーが使ったら収拾つかないことになりますし、軽井沢の交通渋滞は事前に調べれば分かることですし、ちょっと「モンスターペアレント」ならぬ「モンスターランナー」が増えているのではないか気がかりです。

とはいいつつ、多少の改善も必要ですが、そうすれば、素晴らしい大会になると思います。

参加賞:Tシャツ(デザインは今までの中でも上位ランクに入ると思います。)

2010軽井沢ハーフマラソン(その1 レース編)






野辺山100㎞から1週間、今週も再び長野県の軽井沢へ、
軽井沢ハーフマラソンへ参加してきました。
この大会は、以前まで軽井沢の中心街から南へかなり離れた10マイルの大会でしたが、今回から軽井沢のど真ん中で行われるハーフマラソンに変わりました。

軽井沢は、新幹線で素通りするばかりで、足を踏み入れたのは今回で3回目だと思います。
事前にちょっと調べても、アウトレットが出来てからは交通渋滞が激しくなり、旧軽井沢を中心に飲食店はどこも混雑しているらしく、そんな中、軽井沢の中心街の道路を閉鎖してハーフマラソンが開催されるというのはつい最近までは想像し難く、マラソンブームを象徴した出来事かもしれません。

先週の野辺山は午前2時半、今週の軽井沢は午前4時起き、ニワトリよりも早起きな週末が続いています。
今にも泣きだしそう空、せめてスタートまでは雨が降らないようにと願いながら東京駅から始発の長野新幹線に乗りました。
車内はランナーの貸し切り状態、女性ランナーの割合も高かったです。

7時半過ぎ、東京から1時間、長いトンネルを抜けると軽井沢に到着しました。残念ながら雨模様でした。

下車するとひんやりとした空気を感じ、東京との気温差に驚きました。駅から歩いて数分で、会場の矢ヶ崎公園に到着しました。
芝生と池の綺麗な公園、晴れていたら芝生の上で、スタート前寛げ快適ですが、雨が降ってしまったので、受付を済ませると、雨よけの場所を探しました。幸い、女子更衣室として使われている管理棟の中は当然入れないので、その外側は屋根があって、スタート前まで雨をしのぐことにしました。

100円ショップの雨具を着て、スタート地点に向かいました。午前8時半、雨が降り続く中、ハーフマラソンがスタートしました。
一週前100キロ走ったばかりなので、無理のないペースでゆっくりと雨の軽井沢の街を走り始めました。ほどなくして、旧軽井沢のおしゃれな店が立ち並ぶ通りに入りました。雨の中ですが、沿道の声援も多く、気持ちよく走りぬけました。

旧軽井沢を過ぎると、新緑が美しい林間コース、雨さえなければもっと気持ちいいのにと思いながら5㎞地点を通過、雨具も暑く感じて、最初の給水所のごみ箱に捨てて、ペースを上げていきました。小さなアップダウンはあるのですが、先週標高差1000mの道を走ったので、平らなコースに感じました。9キロ手前では、上位ランナーが折り返してきて、ゲストの嶋原選手も元気よくハイタッチしながらすれ違いました。

私設のエイドでオレンジがあったので食べると10キロ地点、折り返しの中軽井沢が近づいてきました。昼食は中軽井沢と決めていたので、食べる予定のイタリアンのお店をチェックしながら、折り返しました。中間点では1時間48分ぐらいのペース、5月とは思えない低い気温と雨で、呼吸が楽でペースを上げていきました。

帰りは途中まで往路と同じコース、雨の中でも大勢のランナーとすれ違いました。この大会は、珍しく「仮装自粛要請」があり仮装ランナーはほとんど見かけませんでした。その変わり、ファッショナブルな女性ランナーが多い、そんな印象を受けました。

15キロを通過残りわずが、先週100キロを走っているので、距離がとても短く感じました。森の中、別荘やホテルを通過すると、住民、宿泊客、制服を着た従業員が応援していて、軽井沢ならではの光景が見られました。

20キロ地点を通過、ネットタイムでは1時間43分台の記録が狙えそうで、ラストスパートしました。ラスト100mでは、嶋原選手が出迎えてくれてました。「結婚おめでとうございます」と声をかけたら、「ありがとうございます」と返事をしてくれました。

そして1時間43分28秒でゴール。 
100キロの翌週で、記録狙いの靴で走らなかった割には、まずまずのタイムでした。

ゴール後、荷物預かり所が外のため、ずぶ濡れの体で並んでいたので、体が冷えて大変でしたが、何とか荷物を受け取り、着替えも外でしたが完了してすっきりしました。

0- 5㎞:25:29
5-10㎞:25:05 (おそらく10㎞地点の距離表示がずれていたと思われます。)
10-15km:23:29
15-20km:24:13

ゴール 1:43:28

アフタレースと総括編へ続く>

2010年5月22日土曜日

2010野辺山高原100kmウルトラマラソン(その3 グルメ編)

野辺山へは2泊3日の工程で行きました。
今回は、ウルトラ仲間と車で現地に向かいました。

3日間とも天候に恵まれ、新緑の景色も楽しむことができました。


土曜日の昼は、野辺山の手前、清里でグラタン専門店でほうとうを食べました。
ミルクの濃厚な味でした。


グラタン専門店 アミ (清里)
http://www.reed.co.jp/mammy/








その後、野辺山で受付を済ませ、コースの下見を兼ねてドライブ、どこを走っても気持ちいい景色が広がっていました。

夜は大会の前夜祭で、会費1000円で立食の食べ放題、地ビールもあり満足のメニューでした。デカフォレスト(10回以上完走者)のメンバーは特別席が設けられ、優遇されていました。このコースの10回完走は走ってみて改めて凄さを実感しました。(サロマンブルーよりも権威があるのではないのでしょうか)

その他、地元の名産品などが当たる抽選会、山梨学院大学のチアリーディングによる応援などのイベントがあり、100キロスタート前に気持ちが高ぶる内容でした。

*********

日曜日の夜は、ペンションに戻って、お風呂、ビール、食事、宿泊者同士の今日のレース談義に花が咲きました。全員完走してたので、何とか仲間に入れてよかったという気持ちもありました。
夜空の星もきれいに輝いていました。













月曜日は、野辺山を離れ、再び清里へ、

日本一標高の高い豆腐屋さんで、豆腐を食べ

清泉寮のレストランでミルクカレーを食べました。ドリンクバーをつけて牛乳もたくさん飲みました。

清泉寮 キープファームショップ
ジャージーミルクのカレー
http://www.keep.or.jp/mbf/fs_menu.html

さらにソフトクリームも別のお店で食べ、ミルクフードづくしの3日間になりました。

清里マミイ
http://www.reed.co.jp/mammy/index.htm

これだけきれいで美味しい町なので、あんなハードなコースを何度も走ってしまうんだなと思いました。

ちなみ交通費は、高速代が安かったこともあり、一人1300円と格安でした。


2010年5月19日水曜日

2010野辺山高原100kmウルトラマラソン(レース編 その2)

<野辺山高原100キロウルトラマラソンの後編です>

50キロ以降は、再び緩やかな上りが続く道になり、長い下りで酷使した脚は暑さも加わって悲鳴をあげていました。もう歩くようなスピードで55キロを6時間44分で通過しました。

このあたりは唯一の折り返しのポイントがあり、前を走るランナーとすれ違うコースで、このきついコースで仮装したランナーも通過していきます。

ようやく着替えポイントのある59キロの折り返し地点に到着、そばでは、パンダの着ぐるみランナーがかぶり物を脱いで、ヘトヘトの表情をしていました。自分だけが苦しいわけではないと思いました。

ここでは靴下をはきかえ、足に消炎クリームを塗って、ランニングベストも置いて、身軽な格好にして気分転換を図り再スタートしました。

60キロは7時間39分で通過、正午を過ぎて、気温が上昇してきて、体力も気力も奪われ、ヨレヨレ状態でした。こんな時、民家の私設エイドのお茶が 気力を振り絞る糧となりました。

65キロは8時間20分で通過、ここで再び壁のような上り坂が現れ、走る気力を奪い去られました。上っても上っても坂が続き、ほとんど歩きの状態でした。途中、炭酸飲料が飲みたくなり、自販機で購入して、喉をうるおして、何とか上っていきました。



70キロは、9時間17分、この5キロは1時間近くかかり、かなり遅くなり、完走に黄信号が灯り始めました。
71キロ関門は、71キロの部のゴールでもあり、ゴールの温泉に入ってさっぱりしている人もいて、ちょっとうらやましく思いつつも、やはり馬越峠を越えなければ、野辺山じゃないと思って、エイドでそばを食べ、再び走り始めました。

峠が近付いて、日陰が増え、体感気温が下がり、少し楽になり、上りでも走れるようになって、74キロまでは抜かす人数も増えてきました。そして、馬越峠につながる道に入ってきました。

ここからの5キロは、傾斜がきつく、歩くのが精一杯、周りをみても、ほぼ全員歩いて上っています。
75キロは10時間5分で通過、静寂な森の中をただひたすら歩き、頂上が早く来てくれるのを願っているのですが、途中、はるか上に歩いているランナーが見え、あんなに高いところまで上らなければいけないのかと、気が沈みそうになりました。


そして、79キロついに馬越峠の頂上に到達、そこから見晴らす景色は達成感も連なって最高でした。しかし、まだ気は抜けません。残りは21キロを約3時間、90キロからの最後の10キロは上りがあり、最後まで気を緩めないと心に誓って、下っていきました。

80キロは、11時間4分で通過、
事前に経験者から下りは要注意と言われたこと、2009年に走った「日本平桜マラソン」で急激な下り坂で思い切って下ってその後の平地で地獄を見たことを思い出して、焦る気持ちを抑えて、足の負担を考えて、ゆっくり下って行きました。


85キロは、11時間40分で通過、
ここから、平坦な河川敷コースに入り、やっと普通のマラソンコースを走れると思って安堵しました。
87キロの最終関門を11時間56分で通過、しかし、ここを通過できても、ゴールに14時間以内に入らないと完走メダルはもらえません。下りで少しタイムは挽回しましたが、まだまだ安心できる時間ではなく、エイドでうどんを食べて、すぐにスタートしていきました。

90キロまでは、遅いながらも走り続けて、12時間21分で通過、あと10キロを1時間38分、どのような時間配分でいけば完走できるか頭を巡らします。
しかし、90キロ手前から、また上り坂の連続、さすがに走ることができず、歩くことになり、どんどん貯金がなくなってきます。

どんどん夕暮れが近づいてきて、吹く風も冷たく、制限時間までのカウントダウンが始まります。前後のランナーも少々焦りはじめている気配を感じます。

95キロ地点、13時間13分で通過、この5キロは51分かかり、あっという間に貯金が減りました。残り5キロを46分、平地であればクリアできるタイムですが、まだ上りが続く中では、本当に微妙なタイムです。
最後の気力を振り絞ってスパートしました。ただ気持ちはスパートしていても、足は思うように動きません。

96キロ地点通過 この1キロも9分半、8分台では走れていると思ったのにショックでした。このままでは本当に危ない、残り4キロ37分絶対に歩かないと心に決め、きつい上りも走りました。

97キロ地点通過 この1キロ9分、残り28分。少しペースが上がりましたが、まだ歩いたらアウト、走り続けます。ここからはほぼ平坦になり、前後のランナーもゴールへ向けて皆ラストスパート、周りのペースが速くなってきました。
この地点 からゴール地点のアナウンスがよく聞こえ、制限時間までのカウントダウンをしていて、ちょっと焦りました。

98キロ地点通過 残り19分半、まだ微妙な時間、苦しさを抑えて走り続けます。
99キロ地点通過 残り11分、ようやく、完走できるような目途がついてきました。でも歩いてしまったらどうなるか分からないので必死で走ります。しかし、目の前には踏切が、「電車来るな」と心で叫びながら、無事踏切を通過しました。

踏切を越えると、沿道に100キロ走ったランナーのゴールを迎える観衆が増えてきました。
そして、ラスト数百メートルは、道幅が狭くなり両脇に多くの観衆が集まり、最高のウイニングロードができていました。

「完走おめでとう」、「よく頑張った」、「お帰りなさい」という祝福の声の嵐がかかり、今まで一番ウルウルして、ようやく完走を確信して、ゴールテープを切りました。

13時間56分30秒、今までで最も苦しいウルトラマラソンが終わりました。
しかし、首にかけてもらった完走メダルは、今まで最も重く感じました。

ゴール後は、力を出し切って、しばらくは立つことができませんでした。
ペンションに戻って飲んだビールは、最高の一杯でした。











<ラップタイムと目標との差>
5km 31:40       -2分20秒
10km 1:07:38 (35:58)-6分22秒
15km 1:49:18 (41:40)-9分42秒
20km 2:29:26 (40:12)-14分34秒
25km 2:58:37 (29:11)-17分23秒
30km 3:36:09 (37:32)-14分51秒
35km 4:09:13 (33:04)-14分47秒
40km 4:46:20 (37:07)-12分40秒
45km 5:28:18 (41:58)-9分42秒 
50km 6:00:07 (31:49)-10分53秒

55km 6:44:51 (44:44)休憩含む -1分9秒
60km 7:39:52 (55:01)休憩含む +8分52秒
65km 8:20:25 (40:33)+8分35秒
70km 9:17:53 (57:28)+26分53秒
75km 10:05:38 (47:45)+24分38秒
80km 11:04:34 (58:56)+33分34秒
85km 11:40:37 (36:03)+24分37秒
90km 12:21:59 (41:22)+20分59秒
95km 13:13:44 (51:45)+27分44秒
100km 13:56:30 (42:46)+25分30秒

(その3へ)

2010野辺山高原100kmウルトラマラソン(レース編 その1)






2010年5月16日(日)

レース当日、朝2時半、睡眠は思うようにとれず完全な寝不足状態でした。
それも、いつものこと、気にせず準備して、暗闇の中、ペンションのオーナーの車でスタート会場まで向かいました。

午前4時、日本で一番ハードなウルトラマラソンというのに、71キロ、42キロの部を合わせると2000人以上が集結して体育館は大混雑していました。

外は寒く5~6度、待っている間は、サービスのココアなどの温かい物の飲んでしのぎました。

そして朝5時、スペシャルゲストの荒川静香さんのピストルで(鳴らなかったですが)、過酷な一日がスタートしました。スタート地点では、荒川さんとのハイタッチ目当てで渋滞が起きていて、ゆっくりと進んでいきました。


最初の5キロは、コース内で唯一平坦な道の区間、霧の中、なるべく力を入れ過ぎずにリラックスして走りました。

5キロ地点のエイドでは、再び荒川さんが応援に来ていて、これから始まる登り坂の前の一服の清涼剤となりました。
1,375mの日本鉄道最高地点を過ぎると、林道へと続く道、いよいよ最初の難関、1908mの八ヶ岳横岳中腹までのトレイルコースが始まりました。



10キロは、1時間7分で通過、足場は悪いですがまだまだ走れる登りです。このあたりで徐々に霧が晴れてきて、苦しさの中でも雄大な八ヶ岳の自然風景が気持ちを和ませてくれました。

15キロは1時間49分で通過(この5キロは41分39秒)、このあたりから、何度も吐き気を催すようになりました。どうやら恐れていた酸欠状態になっているようです。




実は肺活量が成人男性の平均よりも80%ぐらいしかなく、健康診断の結果は、100キロ走っていても、いつも「もう少し運動しましょう」と書かれてしまっています。

長い道のりを考え、きつい坂は無理せず歩くことにしました。

そして、ほどなくしてこのコース最高地点に到達、意外に早く来た感じがしました。


20キロは2時間29分で通過
その後は、しばらく得意の下り、呼吸も楽になり、快適に下っていきました。23キロは、宿泊のペンションのオーナーがエイドでボランティアをしたいたので、ご挨拶をして、再び下り始めました。



25キロは、2時間58分で通過、この5キロ30分を切りました。以降、また上りが始まり、吐き気を催しながら進みました。 


30キロ地点を3時間36分で通過後、ほどなくして、風もないのに、斜面で激しく笹の音が聞こえてきます。二匹の大きな動物が斜面を走っていきました。一瞬何かと思ったのですが、背後のランナーからは「熊だ」の声、鹿でも、猿でも、イノシシにも見えなかったので、熊だったかもしれません。ちょっと怖かったですが、さすがに道は人間が集団で走っていたので、こちらに近づくことなく、熊と思われる生き物は逃げて行きました。

そうしているうちに35キロの温泉のあるエイドに4時間9分で到着、林道トレイルコースが終わりました。さすがに温泉に入っている余裕もなく、名物のお汁粉エイドもあったのですが、並んでまで食べる食欲がなく、果物類を中心に食べて、再び走り始めました。



少し上った後は、10数キロ続く長い下りが始まりました。普段なら勢いよくいけるところが、かなり足にきていて、どうもうまく下れませんでした。40キロは4時間46分で通過、徐々に道が開けてきて、里に下りてきた印象です。42キロは5時間1分で通過、予定よりも早い時間でしたが、体力はかなり消耗していて、昨年のサロマの80キロ地点ぐらいの雰囲気で、残りの60キロが果てしなく遠い距離に感じました。

ここは着替えポイントで、雨が降ったら靴を履き替えようと思ったのですが、当日は晴天でそのままの靴で再び走りはじめました。しかし得意の下りでも、抜かれることが多くなり、この時点で完走できないかもしれないという不安がよぎりました。


松原湖を過ぎて45キロ5時間28分で通過、このあたりでは木陰がなくなり、直射日光を浴びてとても暑く感じてきました。

そしてヘトヘトになりながら、なんとか50キロの中間点に到達、ちょうど6時間で通過、予定より10分以上早かったですが、もうまともに走れないほど足にきており、制限時間ぎりぎりの勝負になることをこの時点で覚悟しました。50キロは手打ち蕎麦のエイドがあったのですが、長い行列ができていてかなり待つことになりそうだったので、あきらめて走ることにしました。

(その2へ)

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マラソンの記録

【フルマラソン】

◆男子世界記録 2時間00分35秒 ケルビン・キプタム(ケニア) 2023年10月 シカゴマラソン (2分51秒5/km)

◆男子日本記録 2時間04分56秒 鈴木 健吾 2021年2月 びわ湖毎日マラソン(2分57秒7/km)

◆女子世界記録 2時間09分56秒 ルース・チェプンゲティッチ (ケニア) 2024年10月 シカゴマラソン (3分05秒/km)

◆女子日本記録 2時間18分59秒 前田穂南 2024年1月 大阪国際女子マラソン (3分18秒/km)

◆自己記録  3時間37分32秒 2013年12月 青島太平洋マラソン(5分09秒/km)


【100km】

◆男子世界記録 6時間05分35秒 Aleksandr SOROKIN (リトアニア)  2023年5月 Vilnius (LTU) (3分39秒/km)

◆女子世界記録 6時間33分11秒 安部 友恵 (日本) 2000年6月 サロマ湖100kmウルトラマラソン (3分56秒/km)

◆自己記録 12時間13分41秒  2009年6月 サロマ湖100kmウルトラマラソン(7分20秒/km)

記録

【ハーフマラソン】
◆男子世界記録
 57分30秒 Y.ケジェルチャ(エチオピア) 2024年10月(スペイン・バレンシア)(2分44秒/km)
◆男子日本記録 1時間00分00秒 小椋 裕介 2020年2月(香川丸亀国際ハーフ)(2分50秒6/km)
◆女子世界記録 1時間02分52秒 レテセンベト・ギデイ(エチオピア)2021年10月スペイン・バレンシアハーフマラソン (2:58.8/km)
◆女子日本記録 1時間06分38秒 新谷仁美 2020年1月 米国・ヒューストンハーフマラソン (3:09.5/km)
◆自己記録  1時間37分12秒 2013年11月 江東シーサイドマラソン(4分36秒/km)