2011年6月16日木曜日

2011いわて銀河100kmチャレンジマラソン(その2:当日編)

2011年6月12日(日)いわて銀河100kmチャレンジマラソン 大会当日

朝6時起床、100kmの部は、すでに午前4時北上から雫石へ向けてスタートして2時間が経過しているのですが、50kmの部は、10時スタートということで、ゆっくり朝風呂、食事を楽しんで、走る準備をして、チェックアウトしました。(この時は、大きな忘れ物をしたことを全く気づかずに。。。)

湯川温泉からバスでほっとゆだ駅へ(始発から終点まで信号が一つもないバス路線です。)
そして、ほっとゆだ駅で盛岡/湯本温泉方面のバスに乗り換えて、スタートの沢内バーデンのある最寄りのバス亭に到着、そこから1.5km、美しい田舎道を歩いて、8時半ごろに会場に到着しました。

会場内は、温泉・宿泊施設、スキー場、室内競技場もあり、思ったよりも広くて立派な施設で驚きながら用意をしました。


9時半に開会式が始まり、30秒間の黙祷、周囲は静寂に包まれました。鳥取でも、富士五湖でも開会式では黙祷がありましたが、被災地岩手での黙祷は、うまく表現できないのですが、全く異なるものに感じました。

(身内や親類を亡くされた参加者がいらっしゃるわけで、岩手と東京で埋めようとしても埋まらない温度差があると感じつつ、それでも、これから長く続くであろう復旧・復興に向けて、継続的に行動をとらねばと感じました。)

スタート10分前、スタート地点にゲートを設置、選手も協力して立てました。日差しも強くなって、暑さを感じながら、午前10時、50キロの部のレースがスタートしました。

50キロのレースは初出場なので、フルマラソンのちょっと長い距離のつもりで走るのか、ウルトラマラソンを多少短くした距離のつもりで走るのか、どのような感覚が走ればよいのか悩んだのですが、今回は、先週の風邪で高熱を出した影響で、体調は万全ではないので、ウルトラマラソンよりは多少速いペース(5キロ30分、5時間台でのゴール)で、後半余力があればペースを上げていくことを目標に走ることにしました。
(周りのランナーの格好を見ると、ウルトラマラソンというよりは、フルマラソンのような軽装の方が多かったです。)

最初数百メートルは、逆方向に走って、折り返して、一旦スタートに戻ってから、ゴールの雫石に向けて北上していきます。緑豊かで交通量も少ない道路、穏やかな雰囲気に包まれて、5キロ地点を通過、29分台、予定通りですが、いつもより体が重い感覚でした。

時折、集落があり、農家の方の応援を受けながら、10キロ手前で、最初のエイドに到達しました。東京のような蒸し暑さはないのですが、強い日差しをうけ、のどの乾きが速く、いつもより多めに水分をとりました。

丘を越えて、15キロ手前で100キロの部と合流します。15キロまでの5キロは32分台、暑さでペースダウンしてきました。16.5キロは、レストステーションで、100キロの部の方は、荷物の受取ができます。エイドには、豚汁、おにぎり、果物などが並び、ビール(※ノンアルコール)もありました。

この暑さで、ついついビールに手が伸びてしまい、一気にゴクリ。美味しかったですが、再スタートするとペースが落ちてしまいました。さすがに今回は制限時間が8時間ということもあり、関門閉鎖を気にする必要がないので、集中力・気力が欠いた走りで、ゆっくり、ゆっくりゴールを目指しました。

20キロ地点では、緩やかですが、上りが続いていて、12時過ぎて気温も上昇して、苦しくなってきて、50キロ余分に走っている100キロの部の人と並走するのが精一杯の状態が続き、エイドが待ち遠しかったです。

エイドの途中には、かぶり水がおいており、水をかけて体を冷やし、エイドまでの飲み水もボトルに注いで、途中で飲みながら走りました。
25キロ中間点は2時間48分で通過、予定よりも18分オーバー、これは6時間コースになりそうだと、覚悟しました。

小さな峠を越えて、後半は下り基調のコースになります。しかし、ペースは上がりません。

30キロを過ぎてからは、徐々に私設エイドが登場して、「コーラが飲みたいな」と思ったタイミングで、コーラを飲むことができ、本当に助かりました。35キロ地点を通過、残り15キロ、ペースは上がりませんが、気温も下がって、多少走りやすくなってきました。

今までは、人気のあまりない山道を走ってきましたが、徐々に建物が増え、温泉街が近づいてきました。鴬宿温泉は、ゴール後、選手は無料で入浴できる温泉です。早く温泉につかりたいと思いつつ、40キロを4時間52分で通過、6時間切りは怪しくなってきました。スぺシャルエイドでは、お汁粉とトマトを頂きました。すると元気が戻ってきて、最後の10キロは、しっかり走ろうと思い、ペースを上げました。

ただこのコース、ラスト10キロ切ってから、結構アップダウンが厳しく、上り坂に苦しめられました。それでも、今までゆっくり走って余力を残していたので、ようやくごぼう抜きが始まりました。

45キロ地点通過、6時間切りまで残り30分、6時間切りにこだわる必要はないけど、目標を持って走らないとだらだらしそうなので、追い風にも乗ってペースを上げました。残り4キロ、残り3キロ、そして、残り2キロあと13分、これで大丈夫かと思ったら、また壁のような坂、でも上りきって、よしゴールだと思ったら、なかなか残り1キロの表示が現れず、おかしいなと思いつつ、ゴールのある雫石総合運動公園が近づいてきました。

あと数百メートルでゴールかなと思ったら、残り1キロの表示が登場、この時点で残り3分少々、距離表示は?で、6時間切りは絶望となってしまいました。ゴール目前で、陸上競技場をほぼ1周して、外の周回道路のゴールを目指すという最後に厳しい試練がありましたが、周りの皆さんが笑顔で出迎えてくれて、無事50キロゴールしました。


6時間2分、体調が万全でないので仕方ないのですが、富士五湖112kmの時の50キロ地点の通過タイムが5時間20分、高低差1000mの野辺山の50キロ地点の通過タイムも6時間だったことを考えるとかなり遅いタイムでした。
制限時間が厳しくて、気持ちが張り詰めていると走れるけど、緊張感がないと、なかなか速く走れない、それを象徴する結果だったと思います。
(富士五湖112キロはよく完走できたなと、今頃ですが、改めてそう感じました。)

メダル、完走賞、ビールをもらい、そして参加賞のTシャツと食券をもらって、会場内の出店でじゃじゃ麺、おにぎり、おでん、オムレツ、シュウマイを頂きました。(食券にチヂミもあったのですが、すでに完売で食べることができませんでした。) 普段はそんなに飲まないビールをレース中もレース後、たくさん飲んで、特に盛岡名物のじゃじゃ麺は美味しかったです。



鴬宿温泉へはゴール時間が遅くなったこともあり入る気力がなくなってしまったので、17時半にシャトルバスで盛岡駅に向かい、本日のホテルにチェックインしました。

そして、ホテルの部屋に入ったときに、ジャージから普通の服に着替えようとしたら、服を湯川温泉の宿に置き忘れてしまったことに気づきました。(気づくのが遅すぎますが。。。)

翌日は、仕事でお世話になった方に会う予定だったので、さすがにジャージはまずいなと思いました。ただ翌日はレンタカーを使うので、かなり遠いですが、戻って取りに行くしかないなと思い、湯川温泉の宿に連絡して、服があることを確認し車で伺う旨を連絡し、翌日の岩手横断ドライブが決行されることとなりました。

Lap time
 0 - 5km 29:40
 5 -10km 30:36
10-15km 32:45
15-20km 38:15
20-25km 36:59

25-30km  39:43
30-35km  38:56
35-40km   45:36
40-45km   36:50
45-50km  33:38  

前半 2:48:15
後半 3:14:43

6時間2分58秒

つづく
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2011年6月14日火曜日

2011いわて銀河100kmチャレンジマラソン(その1:前日編)

3.11から3ヶ月、岩手に行きました。


東日本大震災で、多くのマラソン大会が中止になる中、岩手で行われる本大会は、この時だからこそということで、開催決行され、走ること、現地に行って消費することで、少しでも復興支援になればと思い、50kmの部にエントリーしました。(100kmの部にエントリーしようと思ったのですが、富士五湖112kmのダメージが大きすぎたため、弱気の50kmで参加となりました。)

6月11日(土)午前中は、毎年参加していた夢の島の24時間リレーマラソンの応援に、スタート前は、雨が降り続いていて大変そうでしたが、13時のスタートの頃には雨もやみ、まずまずのコンディションで行われたようです。


新木場から東京駅に戻り、午後1時過ぎの新幹線で北上に向かいました。11日から1万円で新幹線も含むJR東日本管内1日乗り放題で、さらに駅レンタカーが1日3500円(免責補償料込み)で借りられる東日本パスが発売されたので、この切符を有効活用しました。

新幹線が郡山駅に近づくにつれ、屋根にブルーシートを敷いて応急措置をしている家が目立ってきました。原発の影響ばかり話題になっていますが、地震の影響もかなり大きかったことを実感させられました。

仙台は、かなり元に戻ってきていますが、駅のホームは工事中で痛々しさが残っていました。

地震の影響で、一部区間で徐行運転しているため、普段より30分ほど余計に時間がかかって4時半過ぎに北上駅に到着しました。


宿泊先は、北上線のほっとゆだ駅にあるのですが、乗り換え時間が30分以上あるので、この時間を利用して、北上駅か5分ほどの会場で、前日受付をしました。同じ場所で前夜祭が15時~16時半の予定で行われていて、間に合わないかなと思ったのですが、撤収作業の中、食べ物はまだ残っていて、おそばを頂くことができました。




北上駅からローカル線で50分、森の中を走る列車は、ほっとゆだ駅に到着、この駅を中心にいくつもの温泉街があり、駅の中にも温泉、そして、足湯も楽しめます。バスはすでに終わっていて、タクシーで宿に行こうとしたら、ちょっとぶらっとした間に、タクシーがなくなってしまい、10分ほど待つことに、無事、タクシーが来て、10分弱で、本日宿泊の湯川温泉の宿に到着しました。





夕食、温泉を楽しんで、明日に備えました。


つづく
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2011年6月6日月曜日

2011南木曽町・妻籠健康マラソン

南木曽妻籠健康マラソン 2011年6月5日 10キロ

6月は、10キロ、50キロ、30キロ、三週連続遠征です。今週は10キロなので気楽だと思っていたら、一週間風邪気味の状態が続いて、金曜日に悪化、高熱を出してしまい、必死に冷却剤?投入して、頭を冷やして、何とか土曜日の朝は、熱が下がり動ける状態になりました。

走れるかどうか分かりませんが、とりあえず、土曜日の午後、高速バスで安曇野へ帰省しました。この時期に帰るのは珍しかったので、久しぶりに田んぼのカエルの鳴き声の合唱を聞いた気がしました。

6月5日(日)大会当日、鼻水は出るものの体は回復していたので、参加を決断(ハーフより長かったら欠場していたと思います。)松本7時4分発の特急列車に乗って1時間、南木曽まで行きました。駅からは無料のシャトルバスに乗って5分ほどで、会場の南木曽会館に到着しました。

山と川に囲まれた木曽谷、限られた平地に集落があり、その一つに南木曽会館がありました。会議室や和室、結婚式場などがある多目的ホールで、小分けされた部屋に参加者が陣取り準備をしています。

場所は長野県ですが岐阜県の隣町ということもあり、参加者の半数は愛知県からで649人(岐阜県は174人)、長野県は324人で参加者の4分の1程度ということで、会場内で聞こえる会話は、名古屋弁でした。


種目は妻籠宿からスタートする3.2キロが9時から、6キロが10時から、そして10キロが11時からなので、しばらく、木曽川付近を準備運動も兼ねて散策することにしました。木曽川と山の木々に囲まれ自然豊かな場所です。


妻籠宿は、江戸時代中山道の宿場町、ということで甚平とちょんまげ姿で走ることにしました。3.2キロ、6キロの部が終わり、スタート地点のグラウンドへ、木曽ヒノキのアルプホルンでの演奏後、午前11時、10キロの部がスタートしました。



最初から1キロは上り坂、狭い山道を約700人のランナーが上っていきます。今回はジョギングペースですが、上り坂は辛かったです。1キロ上りきるとようやく緩やかな下り坂、グリーンシャワーロードと呼ばれている緑の囲まれた林道を走ります。


ようやく集落らしきところで、沿道の応援があり、子供に「お侍さん」と呼ばれ、それに答えます。ゆっくり走っていますが、鼻づまりがひどく、呼吸がしづらく、喉も乾きやすく、給水で十分に水を飲んで、鼻をかみながら、走っていました。


おまけに、甚平は走りやすいのですが、はだけやすいので、紐でしっかり結ぼうとしたら、紐が切れてしまって、落ち武者のようになってしまい、途中立ち止まって、安全ピンで止めたりしながら、走っていました。

3キロで折り返し、仮装している人が思ったより少ないなと思いつつ、5キロの中間地点は28分ほどで通過、6キロ過ぎ、急な下り坂を下るとこのコースのハイライト、妻籠宿に入りました。ようやく仮装とマッチする場所です。


昔ながらの佇まいで、江戸時代にタイムスリップしたようで、観光客も多く、仮装のおかげでいつもより多くの声援を受け、調子に乗って走っていました。(サングラスで走っていたのですが、そのことに対する突っ込みはありませんでした。)


美しい風景とは裏腹に、妻籠宿からは上り坂が続き、苦しいところ、呼吸が辛く大変でしたが、今回は無理せずペースを落として上りきり、最後の1.5キロちょっとは下り坂、いつもより抑えたペースで下って、ゴールに向かいました。

57分かけてゴールし、給水をしていると、肩をたたかれ、仮装賞の札を頂きました。本部へ行って仮装賞の賞状と副賞の蕎麦2束を頂きました。(仮装の個人賞受賞は、京都でのサンタクロースマラソン以来6年ぶり?)

今回は、ゆっくり走りましたが、本気モードで走ったら、アップダウンがきつく大変なコース、でも面白い、楽しめるコースだと思います。


ゴール後は、風邪の影響もなく元気(汗をかいてすっきりした感じです)、名物の五平餅を食べて、南木曽駅に戻り、駅周辺を散策、桃介橋(「電力王」福沢桃介によって、発電所建設のための資材運搬用ににかけられた木造の橋)の下では、フリスビードッグの大会が開かれていて、見事にフリスビーをキャッチする犬に見入ってしまいました。

南木曽駅からは、名古屋経由で帰京、N700系のぞみは無線LANが使えるので快適でした。

参加賞:ポンチョ、飴玉、各種施設割引券 等
仮装賞:蕎麦2束
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マラソンの記録

【フルマラソン】

◆男子世界記録 2時間00分35秒 ケルビン・キプタム(ケニア) 2023年10月 シカゴマラソン (2分51秒5/km)

◆男子日本記録 2時間04分56秒 鈴木 健吾 2021年2月 びわ湖毎日マラソン(2分57秒7/km)

◆女子世界記録 2時間09分56秒 ルース・チェプンゲティッチ (ケニア) 2024年10月 シカゴマラソン (3分05秒/km)

◆女子日本記録 2時間18分59秒 前田穂南 2024年1月 大阪国際女子マラソン (3分18秒/km)

◆自己記録  3時間37分32秒 2013年12月 青島太平洋マラソン(5分09秒/km)


【100km】

◆男子世界記録 6時間05分35秒 Aleksandr SOROKIN (リトアニア)  2023年5月 Vilnius (LTU) (3分39秒/km)

◆女子世界記録 6時間33分11秒 安部 友恵 (日本) 2000年6月 サロマ湖100kmウルトラマラソン (3分56秒/km)

◆自己記録 12時間13分41秒  2009年6月 サロマ湖100kmウルトラマラソン(7分20秒/km)

記録

【ハーフマラソン】
◆男子世界記録
 57分30秒 Y.ケジェルチャ(エチオピア) 2024年10月(スペイン・バレンシア)(2分44秒/km)
◆男子日本記録 1時間00分00秒 小椋 裕介 2020年2月(香川丸亀国際ハーフ)(2分50秒6/km)
◆女子世界記録 1時間02分52秒 レテセンベト・ギデイ(エチオピア)2021年10月スペイン・バレンシアハーフマラソン (2:58.8/km)
◆女子日本記録 1時間06分38秒 新谷仁美 2020年1月 米国・ヒューストンハーフマラソン (3:09.5/km)
◆自己記録  1時間37分12秒 2013年11月 江東シーサイドマラソン(4分36秒/km)