2010年2月3日水曜日

第8回奥むさし駅伝(その2 第4区編)

<1/31 奥むさし駅伝 の続きです>

10時00分
3区には、中央大学大石選手も走っていて、中継後、辛そうに「ここの4.2キロはきつい」とチームメイトに話していました。箱根の5区山上りで3位の選手でも辛く感じるハードなコースです。

10時10分「繰り上げまであと10分です」とのアナウンスが入りました。この時間までに襷が来れば、自分の走り次第で、6区の繰り上げスタートは回避できるかもしれないと思っていたので、10分を過ぎて、残念な気持ちがある半面、襷をつながなければいけないという大きなプレッシャーがかからなくて良かったという気持ちもありました。

ほどなくして「215番」、チームの番号が呼ばれました。混雑している中継地点の中に入りました。わがチームの3区は国際マラソンの経験もあるランナー、3区サポートのTまちゃんの旦那さん。当日、高知での駅伝の誘いを断って参加してくれました。

坂の下から駆け上がる姿が見えてきました。さすがに走りが違います。10時13分、11人抜きの快走で襷を受け取りました。

今回6人のメンバーで、5000mのタイムでは他の5人よりも2分以上遅いので、足の引っ張りを最小限に抑えたいと思って、12月、1月と5キロ弱を全力で走る練習をしてきました。

そして、事前に4区4.7キロのコースを2回試走し、グーグルのストリートビューでコースの形状を頭に入れて、戦略を立ててきました。4区は、西武線の高架を3回くぐります。その間が4分の1ずつの距離で、2回目の高架下手前が中間点になります。そして3回目の高架をくぐるとこの区間で唯一の上り坂が待ち構えています。

駅伝は襷を受けると、どうしても最初オーバーペースになるので、最初はゆっくり入って徐々にペースを上げて、最後の上り坂で失速しないだけの余力を残して、ラストでスパートすることを考えていました。タイムとしては、試走では20分半かかりましたので、本番では最低でも20分を切る、できれば19分台の前半と考えていました。

襷を受け取って、すぐに折り返し地点、ここは落ち着いてゆっくり、それから、少々手間取りましたが襷を掛けて、ここから徐々にペースを上げていきました。

沿道からはチーム名を呼んでくれる声援もあり気持ちいいです。前のランナーとは距離が開いており、背後からも迫ってくる気配もなく、しばらく国道299号線を独走しました。前が詰まりそうで詰まらず、体が重い気がしましたが、一つ目の高架下を通過してタイムをチェックすると、4分10秒、想定よりも20秒速く、いいペースで走っていることが分かり安心しました。

しかし、ここから、背後から、次々とランナーに追い抜かれていきました。とても、ついていけるスピードではなく、もどかしさを感じながらいると、救急車のサイレンが、最短距離のインコースの道を空けるよう指示があり、そこを救急車が通り抜けました。(駅伝は結構無理する人が多いので、大事に至らなければいいのにと思いました。)

2つ目の高架下の手前は中間点9分30秒でした。後半は坂があるので19分切ることは難しくても、19分台前半では何とかしたいと思いました。

後半に入っても、速いランナーに何人か抜かされ、女性ランナーと男性ランナー一人ずつ抜きましたが、順位は下がる一方です。もどかしさを感じつつ、最後の上り坂に備え、ペース配分に気をつけました。3つ目の高架下をくぐるあたりで、タイガースのユニフォームのランナーの方に抜かれました。ラスト1.3キロのきついところだったので、何とか後ろについて離されないように粘りました。しかし、徐々に離されたところで、ラスト1キロの上り坂に入りました。ここからは、死に物狂いでスパートをかけました。4~50m離された前のタイガースのランナーとの距離が少しずつ縮まってきました。

残り700m、沿道からも「あとは下りだよ」との励ましの声、気持ちが急いていて、早くも襷をとりました。このあとは、あまり記憶に残っていないのですが、余力を残さず走りたいという思いで、前方のランナーの差を詰めていっていたようです。そして、5区を走るランナーの姿が見え、襷を渡しました。
ゴール後、道脇でうずくまって、しばらく動けませんでした。

タイムは19分22秒、2人抜いて10人に抜かれました。

目標のタイムを更新でき全力を出し切った爽快感と、ごぼう抜かれした悔しさとが入り混じっていましたが、駅伝の楽しさを十分に感じることができました。

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