2012年2月10日金曜日

第10回奥むさし駅伝

2012年1月29日(日) 奥むさし駅伝

2年越しのリベンジの時が来ました。

実業団・大学・高校と、日本を代表するランナーから、一般の市民ランナーまで、同じフィールドで競えるこの大会、一昨年は即席でメンバーを集めて何とか出場、最終6区で繰り上げになってしまいましたが、参加できたことに喜びを感じました。

そして、翌年、今度は繰り上げスタートを回避して、1つの襷でゴールすることを目標に毎月練習会を開催してスピード練習をしてきました。しかし、まさかの出場チーム定員増による抽選で落選、出場すらできませんでした。

その後も、練習会は継続して、大会に備え、今年の大会は、無事当選を果たし、当日を迎えました。

この1年は、11月上旬までは、不調が続き、9月の5000mは23分近く、11月の10kmは49分かかり、とても駅伝で走れる内容ではありませんでした。

ただ、11月後半からは回復して、5000mの自己ベストも21分中盤から20分台へ、1月には、20分16秒が出て、何とか駅伝でも、短い区間であれば、何とか走れるぐらいにはなってきました。

しかし、その調子とは裏腹に、大会2週間前あたりから、仕事が忙しくなり、睡眠をとるのが精一杯で、練習できる時間はほとんどとれませんでした。

大会前日に飯能に入りホテルへ、佐久長聖高校など、駅伝の有名高校、大学と同じテンションがあがります。

大会当日、朝6時半に受付を済ませ、ホテルで朝食、準備をして、7時半、スタート地点の東飯能駅前に、駅伝メンバー、サポートの方が集合しました。今年は20名以上が集まって、本当にありがたいです。身が引き締まる思いです。

記念撮影をして、8時前から各中継所にそれぞれ電車で向かって、仲間の襷を待つことになります。

私の担当は4区4.7km、6区間の中では、下りが多く一番やさしい区間です。 2年前は、その時のベストの走りはできたのですが19分22秒、区間121位/151チームということで、チームに貢献できるタイムでは走れませんでした。

本番やコースの下見などで、この区間はかなり詳しくなって、日ごろの練習も12月青島太平洋マラソンが終わってからは、5キロ限定でペース配分も体に叩き込んでいました。

今回は、5区までに繰り上げスタートの1時間50分までに襷をつなぐことが最大の目標で、1区~3区は強いランナーが走るので、私の走りが重要になってきて、今回の設定タイムは、2年前より52秒早い18分30秒(キロ3分57秒ペース)、5000m20分台がやっとの走力なので、かなり厳しめの設定タイムです。

4区(西吾野駅‐吾野駅)は、鉄道の高架橋を3回くぐるので、その地点をチェックポイントに、3分57秒‐5分47秒‐2分56秒‐5分50秒を目安にペースを調整して走ることにしました。

午前9時にレーススタート、第3中継所はまだ人もまばらです。当日は寒い北風が吹きぬけていたので、入念にウォーミングアップがてら走って準備しました。

その後、1区の情報が入ってきて、予定より1分以上速く2区に繋がって、緊張感が高まってきました。

ただ2区の方はレース前から体調を崩されており、どうなるか心配でしたが、予定より1~2分遅れましたが襷はつながり3区へ、先頭の高校・大学チームが中継所に現れて、会場も賑わってきました。2年前はきょろきょろばかりしてましたが、今回はスタートが近づいて落ち着いてきました。

そして、10時13分、3区から4区の襷リレー、襷を落としそうになりがら、何とかこらえ、すぐに折り返して、4区の下りがスタートしました。

今回は、走っているときは、冷静すぎるほど落ち着いていて、普段は走っていて気になる襷も気にならず、周辺の景色も、対向車線のランナーもほとんど記憶になく、道路のみに集中して、時折、沿道からの声援に、反応をしませんでしたが、(あと400mって言っていたけど本当は1キロあるなど)心の中で突っ込みながら、走っていました。

ここは、前半下り、ラスト1キロからが上りというコースで、最初は飛ばさずに、下りを利用して、リラックスしながら走りました。最初の高架は4分6秒、予定より9秒遅く、ちょっとペースを早めることにしました。

走力が少し上の人について走ることができれば理想ですが、4区は走力の差が激しく、自分より相当速いペースの人に抜かれ、(6区アンカーに川内選手が控える埼玉県庁チームにも抜かれました。)、遅いペースの人を抜くという展開で、ずーっと個人走になっていました。

2番目の高架は5分46秒で予定通りのタイムで通過、後半次第で設定タイムを更新できる可能性がでてきました。
レース後半、ラストの上り坂が気になり、ペースを上げるかどうするか悩みながら、3番目の高架は3分00秒で通過、ここは4秒遅く、設定タイム更新が苦しくなってきました。

そして、ラスト1キロの看板、時計は14分34秒で、18分40秒以上かかってしまうのかと思いつつ、上り坂のはじまりから、懸命にスパートしました。前にいる選手を抜き、最後も単独走になり、ペースの維持が難しくなってきましたが、中継所が見え、5区のランナーが見え、最後は全力で襷リレーへ、長くて短い4区が終わりました。

タイムは18分31秒、前回より51秒更新、初めてキロ3分台でのタイムで、ラスト1キロの上りも3分台で走れましたが、設定タイムには1秒足りませんでした。

出し尽くしたような、でも1秒だったら、どこかで頑張れたはずという思いもあり、あまりに落ち着いた走りをし過ぎて、がむしゃらさがなかった気もします。箱根駅伝の東洋大学のように1人1秒削り出すことはできませんでした。

チームは、健闘しましたが、第5中継所では、2分21秒足りずに、埼玉県庁(川内選手)チームなど共に、繰り上げスタートとなってしまいました。

それでも、ゴールは2時間25分、過去最高タイムでのゴールで、6人とも、仕事や育児の多忙、怪我・病気の中、全力を出し切りました。

ゴール後は、大人数なので、近くのカラオケBOXのパーティールームで打ち上げ、駅伝について熱く語り合いました。

やはり、駅伝は、普段のマラソンと違って、不思議な力が出る、襷の力を感じることができました。


4区4.679km 18分31秒 区間101位/153チーム

奥むさし駅伝http://www.city.hanno.saitama.jp/0000000959.html

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マラソンの記録

【フルマラソン】

◆男子世界記録 2時間00分35秒 ケルビン・キプタム(ケニア) 2023年10月 シカゴマラソン (2分51秒5/km)

◆男子日本記録 2時間04分56秒 鈴木 健吾 2021年2月 びわ湖毎日マラソン(2分57秒7/km)

◆女子世界記録 2時間09分56秒 ルース・チェプンゲティッチ (ケニア) 2024年10月 シカゴマラソン (3分05秒/km)

◆女子日本記録 2時間18分59秒 前田穂南 2024年1月 大阪国際女子マラソン (3分18秒/km)

◆自己記録  3時間37分32秒 2013年12月 青島太平洋マラソン(5分09秒/km)


【100km】

◆男子世界記録 6時間05分35秒 Aleksandr SOROKIN (リトアニア)  2023年5月 Vilnius (LTU) (3分39秒/km)

◆女子世界記録 6時間33分11秒 安部 友恵 (日本) 2000年6月 サロマ湖100kmウルトラマラソン (3分56秒/km)

◆自己記録 12時間13分41秒  2009年6月 サロマ湖100kmウルトラマラソン(7分20秒/km)

記録

【ハーフマラソン】
◆男子世界記録
 57分30秒 Y.ケジェルチャ(エチオピア) 2024年10月(スペイン・バレンシア)(2分44秒/km)
◆男子日本記録 1時間00分00秒 小椋 裕介 2020年2月(香川丸亀国際ハーフ)(2分50秒6/km)
◆女子世界記録 1時間02分52秒 レテセンベト・ギデイ(エチオピア)2021年10月スペイン・バレンシアハーフマラソン (2:58.8/km)
◆女子日本記録 1時間06分38秒 新谷仁美 2020年1月 米国・ヒューストンハーフマラソン (3:09.5/km)
◆自己記録  1時間37分12秒 2013年11月 江東シーサイドマラソン(4分36秒/km)