2012年2月19日日曜日

2012久木野しし鍋マラソン


久木野しし鍋マラソン 
2012年2月12日(日) 10km 熊本県水俣市

1月末の奥むさし駅伝以降、風邪をひき、治ったと思ったら、周りがインフルエンザで、代替の仕事が増えて、走れない状態が続きました。

2週間ぶりのランは、九州でのしし鍋マラソンでした。

熊本の水俣市の仕事を現在している関係で、10キロと距離は短いですが、今回参戦しました。

水俣へは、九州新幹線が全線開通したことにより、福岡空港、熊本空港、鹿児島空港の3つの選択肢があるのですが、今回は、一番安く行ける熊本空港ルートを利用しました。

土曜の午後、羽田空港で飛行機に乗ったのですが、40分遅れでの出発となり、到着も遅れ、予定していた新八代行きのバスに乗れず、他のルートも考えたのですが、結局、次のバスが来るまで1時間ほど熊本空港内の喫茶で、デコポンの熊本地サイダーを飲みながら時間をつぶしました。

日も完全に暮れて、19時前にバスで熊本空港から新八代駅へ、新八代駅からは新幹線で1駅、新水俣駅には20時過ぎに到着しました。そこから市内のホテルなで歩いてチェックインしました。結局、行こうと思っていた飲食店がことごとく閉まっていて、コンビニ弁当での夕食、最近、睡眠時間も短かったので、22時過ぎには就寝しました。

2月12日(日)
気持ちよく晴れた朝、ホテルで朝食を済ませ、会場の「愛林館」までは、レースに間にあう時間のバスがないため、タクシーで向かいました。途中、山林に入り、果たして、マラソン大会の会場に本当に到着するのか、多少不安に感じながら、無事、朝9時前に会場に到着しました。

山の中の集落に建てられた趣のある施設に数百人が集まっています。九州ですが、かなり冷え込んでいます。その中、焚き火で暖がとれるのは嬉しいサービスでした。

受付を済ますと、Tシャツ、タオルに加えて、味噌、香り米など地元の特産品の参加賞を頂き、おまけに開会式では遠来賞(4名ほど)の表彰で、棚田米1キロを頂きました。

スタートまでは、しばらく時間があったので、愛林館内の和室で寛いだり、外でウォーミングアップしました。愛林館は、廃線になってしまった山野線の久木野駅に作られた施設、当時の面影を残す運賃表や列車など、いくつか見られました。


9時半から3キロの部が始まりました。10キロの部は当初10時5分スタートの予定が、当日変更になって、20分遅れでスタートしました。

100人ほどで混雑なく、上位数名を除けば長閑なスタートです。今回はリラックスモードで走り始めました。最初の1キロは下り、山村の風景を見ながら、気持ちよく下っていきます。気がつくとキロ4分を切るタイムで折り返し、ここから5キロはずっと上り坂が続きます。

永遠と続く上り坂に心が折れそうになりましたが、沿道の声援と、途中並走になる5キロの部のランナーを追い抜くことで、キロ5分ペースで何とか踏ん張りました。

5キロの中間地点は23分29秒で、このあたりは、10キロの部のみしか走らないので、前後にランナーがいなく、林間道路を1人で走る孤独な状態でした。


開けた道になり6キロ地点で折り返し、長い上り坂も終わり、ラスト4キロは下りです。ここから一気に下ろうと思ったのですが、思うように下れず、7キロまでの1キロは4分28秒でペースが上がりきれません。

その後、後ろから勢い良く下ってきた人に追い抜かれ、その人についていくことで、よいペースで走れるようになり、途中離されてしまいましたが4分前後で下り続け、ゴールは45分を切って、44分56秒。

これだけアップダウンの多いコースで、自己ベストまで22秒、自己3番目の記録でのゴールでした。

本大会は、チップによる自動計測ではなく、順位とゼッケンとタイムを手作業でチェックする手動計測、手作り感があります。ゴール後、はずれなしのくじ引きで、みかん1個(末等)、参加賞のしし鍋とごはんを頂きました。寒いレースの後に、温かい食べ物は有り難いです。

おまけに施設内には、お風呂があり、すぐに汗を流せるのは嬉しいサービスでした。

閉会式では、地元の子供たちの太鼓や踊りなど、温かいお茶を飲みながら、のんびりした雰囲気を味わいました。

帰りは、棚田の風景を見ながら途中まで歩いて、崖の近くを走るバスに乗ったりして水俣駅まで戻りました。

その後、肥薩おれんじ鉄道で熊本駅へ、車窓からの海沿いの景色を楽しみました。熊本市内では、熊本城近辺を散策、翌週(19日)の熊本城マラソンに向けて走っている人をたくさん見かけました。






ゆるキャラ「くまモン」で溢れている熊本空港では、熊本ラーメンを食べて慌ただしく東京に戻りました。


参加者400名程度で、ネットでのエントリー、チップでの計測が主流の中、振り込み用紙でのエントリーと手動計測で地元の有志による手作りの大会。市内だ けでなく市外や鹿児島県からの参加者も多く隠れた人気のある、都会では味わえない雰囲気のよい大会でした。

参加賞:Tシャツ、タオル、味噌、みかん、香り米
遠来賞:お米(1キロ)

記録 44:56 (3:56-4:32-4:53-5:01-5:06-5:01-4:28-4:02-3:51-4:05)

2012年2月10日金曜日

第10回奥むさし駅伝

2012年1月29日(日) 奥むさし駅伝

2年越しのリベンジの時が来ました。

実業団・大学・高校と、日本を代表するランナーから、一般の市民ランナーまで、同じフィールドで競えるこの大会、一昨年は即席でメンバーを集めて何とか出場、最終6区で繰り上げになってしまいましたが、参加できたことに喜びを感じました。

そして、翌年、今度は繰り上げスタートを回避して、1つの襷でゴールすることを目標に毎月練習会を開催してスピード練習をしてきました。しかし、まさかの出場チーム定員増による抽選で落選、出場すらできませんでした。

その後も、練習会は継続して、大会に備え、今年の大会は、無事当選を果たし、当日を迎えました。

この1年は、11月上旬までは、不調が続き、9月の5000mは23分近く、11月の10kmは49分かかり、とても駅伝で走れる内容ではありませんでした。

ただ、11月後半からは回復して、5000mの自己ベストも21分中盤から20分台へ、1月には、20分16秒が出て、何とか駅伝でも、短い区間であれば、何とか走れるぐらいにはなってきました。

しかし、その調子とは裏腹に、大会2週間前あたりから、仕事が忙しくなり、睡眠をとるのが精一杯で、練習できる時間はほとんどとれませんでした。

大会前日に飯能に入りホテルへ、佐久長聖高校など、駅伝の有名高校、大学と同じテンションがあがります。

大会当日、朝6時半に受付を済ませ、ホテルで朝食、準備をして、7時半、スタート地点の東飯能駅前に、駅伝メンバー、サポートの方が集合しました。今年は20名以上が集まって、本当にありがたいです。身が引き締まる思いです。

記念撮影をして、8時前から各中継所にそれぞれ電車で向かって、仲間の襷を待つことになります。

私の担当は4区4.7km、6区間の中では、下りが多く一番やさしい区間です。 2年前は、その時のベストの走りはできたのですが19分22秒、区間121位/151チームということで、チームに貢献できるタイムでは走れませんでした。

本番やコースの下見などで、この区間はかなり詳しくなって、日ごろの練習も12月青島太平洋マラソンが終わってからは、5キロ限定でペース配分も体に叩き込んでいました。

今回は、5区までに繰り上げスタートの1時間50分までに襷をつなぐことが最大の目標で、1区~3区は強いランナーが走るので、私の走りが重要になってきて、今回の設定タイムは、2年前より52秒早い18分30秒(キロ3分57秒ペース)、5000m20分台がやっとの走力なので、かなり厳しめの設定タイムです。

4区(西吾野駅‐吾野駅)は、鉄道の高架橋を3回くぐるので、その地点をチェックポイントに、3分57秒‐5分47秒‐2分56秒‐5分50秒を目安にペースを調整して走ることにしました。

午前9時にレーススタート、第3中継所はまだ人もまばらです。当日は寒い北風が吹きぬけていたので、入念にウォーミングアップがてら走って準備しました。

その後、1区の情報が入ってきて、予定より1分以上速く2区に繋がって、緊張感が高まってきました。

ただ2区の方はレース前から体調を崩されており、どうなるか心配でしたが、予定より1~2分遅れましたが襷はつながり3区へ、先頭の高校・大学チームが中継所に現れて、会場も賑わってきました。2年前はきょろきょろばかりしてましたが、今回はスタートが近づいて落ち着いてきました。

そして、10時13分、3区から4区の襷リレー、襷を落としそうになりがら、何とかこらえ、すぐに折り返して、4区の下りがスタートしました。

今回は、走っているときは、冷静すぎるほど落ち着いていて、普段は走っていて気になる襷も気にならず、周辺の景色も、対向車線のランナーもほとんど記憶になく、道路のみに集中して、時折、沿道からの声援に、反応をしませんでしたが、(あと400mって言っていたけど本当は1キロあるなど)心の中で突っ込みながら、走っていました。

ここは、前半下り、ラスト1キロからが上りというコースで、最初は飛ばさずに、下りを利用して、リラックスしながら走りました。最初の高架は4分6秒、予定より9秒遅く、ちょっとペースを早めることにしました。

走力が少し上の人について走ることができれば理想ですが、4区は走力の差が激しく、自分より相当速いペースの人に抜かれ、(6区アンカーに川内選手が控える埼玉県庁チームにも抜かれました。)、遅いペースの人を抜くという展開で、ずーっと個人走になっていました。

2番目の高架は5分46秒で予定通りのタイムで通過、後半次第で設定タイムを更新できる可能性がでてきました。
レース後半、ラストの上り坂が気になり、ペースを上げるかどうするか悩みながら、3番目の高架は3分00秒で通過、ここは4秒遅く、設定タイム更新が苦しくなってきました。

そして、ラスト1キロの看板、時計は14分34秒で、18分40秒以上かかってしまうのかと思いつつ、上り坂のはじまりから、懸命にスパートしました。前にいる選手を抜き、最後も単独走になり、ペースの維持が難しくなってきましたが、中継所が見え、5区のランナーが見え、最後は全力で襷リレーへ、長くて短い4区が終わりました。

タイムは18分31秒、前回より51秒更新、初めてキロ3分台でのタイムで、ラスト1キロの上りも3分台で走れましたが、設定タイムには1秒足りませんでした。

出し尽くしたような、でも1秒だったら、どこかで頑張れたはずという思いもあり、あまりに落ち着いた走りをし過ぎて、がむしゃらさがなかった気もします。箱根駅伝の東洋大学のように1人1秒削り出すことはできませんでした。

チームは、健闘しましたが、第5中継所では、2分21秒足りずに、埼玉県庁(川内選手)チームなど共に、繰り上げスタートとなってしまいました。

それでも、ゴールは2時間25分、過去最高タイムでのゴールで、6人とも、仕事や育児の多忙、怪我・病気の中、全力を出し切りました。

ゴール後は、大人数なので、近くのカラオケBOXのパーティールームで打ち上げ、駅伝について熱く語り合いました。

やはり、駅伝は、普段のマラソンと違って、不思議な力が出る、襷の力を感じることができました。


4区4.679km 18分31秒 区間101位/153チーム

奥むさし駅伝http://www.city.hanno.saitama.jp/0000000959.html

ライザップ イングリッシュ

ライザップイングリッシュ

Books

マラソンの記録

【フルマラソン】

◆男子世界記録 2時間02分57秒 デニス・キメット (ケニア) 2014年9月 ベルリンマラソン (2分55秒/km)

◆男子日本記録 2時間06分16秒 高岡 寿成 2002年10月 シカゴマラソン (3分00秒/km)

◆女子世界記録 2時間15分25秒 ポーラ・ラドクリフ (英国) 2003年4月 ロンドンマラソン (3分13秒/km)

◆女子日本記録 2時間19分12秒 野口 みずき 2005年9月 ベルリンマラソン (3分18秒/km)

◆自己記録  3時間37分32秒 2013年12月 青島太平洋マラソン(5分09秒/km)


【100km】

◆男子世界記録 6時間13分33秒 砂田 貴裕 (日本)  1998年6月 サロマ湖100kmウルトラマラソン (3分44秒/km)

◆女子世界記録 6時間33分11秒 安部 友恵 (日本) 2000年6月 サロマ湖100kmウルトラマラソン (3分56秒/km)

◆自己記録 12時間13分41秒  2009年6月 サロマ湖100kmウルトラマラソン(7分20秒/km)

【ハーフマラソン】
◆男子世界記録
 58分23秒 ゼルセナイ・タデセ(エリトリア) 2010年3月(ポルトガル・リスボン)(2分46秒/km)
◆男子日本記録 1時間00分17秒 設楽 悠太 2017年9月(チェコ・ウースチー・ナド・ラベム)(2分51秒/km)
◆女子世界記録 1時間05分06秒ペレス・ジェプチルチル (ケニア)2017年2月(RAKハーフマラソン・UAE) (3分05秒/km)
◆女子日本記録 1時間07分26秒 福士 加代子 2006年2月 香川丸亀国際ハーフマラソン) (3分12秒/km)
◆自己記録  1時間37分12秒 2013年11月 江東シーサイドマラソン(4分36秒/km)