2010年5月16日(日)
レース当日、朝2時半、睡眠は思うようにとれず完全な寝不足状態でした。
それも、いつものこと、気にせず準備して、暗闇の中、ペンションのオーナーの車でスタート会場まで向かいました。
午前4時、日本で一番ハードなウルトラマラソンというのに、71キロ、42キロの部を合わせると2000人以上が集結して体育館は大混雑していました。
外は寒く5~6度、待っている間は、サービスのココアなどの温かい物の飲んでしのぎました。
そして朝5時、スペシャルゲストの荒川静香さんのピストルで(鳴らなかったですが)、過酷な一日がスタートしました。スタート地点では、荒川さんとのハイタッチ目当てで渋滞が起きていて、ゆっくりと進んでいきました。
最初の5キロは、コース内で唯一平坦な道の区間、霧の中、なるべく力を入れ過ぎずにリラックスして走りました。
5キロ地点のエイドでは、再び荒川さんが応援に来ていて、これから始まる登り坂の前の一服の清涼剤となりました。
1,375mの日本鉄道最高地点を過ぎると、林道へと続く道、いよいよ最初の難関、1908mの八ヶ岳横岳中腹までのトレイルコースが始まりました。
10キロは、1時間7分で通過、足場は悪いですがまだまだ走れる登りです。このあたりで徐々に霧が晴れてきて、苦しさの中でも雄大な八ヶ岳の自然風景が気持ちを和ませてくれました。
15キロは1時間49分で通過(この5キロは41分39秒)、このあたりから、何度も吐き気を催すようになりました。どうやら恐れていた酸欠状態になっているようです。
実は肺活量が成人男性の平均よりも80%ぐらいしかなく、健康診断の結果は、100キロ走っていても、いつも「もう少し運動しましょう」と書かれてしまっています。
長い道のりを考え、きつい坂は無理せず歩くことにしました。
そして、ほどなくしてこのコース最高地点に到達、意外に早く来た感じがしました。
20キロは2時間29分で通過
その後は、しばらく得意の下り、呼吸も楽になり、快適に下っていきました。23キロは、宿泊のペンションのオーナーがエイドでボランティアをしたいたので、ご挨拶をして、再び下り始めました。
25キロは、2時間58分で通過、この5キロ30分を切りました。以降、また上りが始まり、吐き気を催しながら進みました。
30キロ地点を3時間36分で通過後、ほどなくして、風もないのに、斜面で激しく笹の音が聞こえてきます。二匹の大きな動物が斜面を走っていきました。一瞬何かと思ったのですが、背後のランナーからは「熊だ」の声、鹿でも、猿でも、イノシシにも見えなかったので、熊だったかもしれません。ちょっと怖かったですが、さすがに道は人間が集団で走っていたので、こちらに近づくことなく、熊と思われる生き物は逃げて行きました。
そうしているうちに35キロの温泉のあるエイドに4時間9分で到着、林道トレイルコースが終わりました。さすがに温泉に入っている余裕もなく、名物のお汁粉エイドもあったのですが、並んでまで食べる食欲がなく、果物類を中心に食べて、再び走り始めました。
少し上った後は、10数キロ続く長い下りが始まりました。普段なら勢いよくいけるところが、かなり足にきていて、どうもうまく下れませんでした。40キロは4時間46分で通過、徐々に道が開けてきて、里に下りてきた印象です。42キロは5時間1分で通過、予定よりも早い時間でしたが、体力はかなり消耗していて、昨年のサロマの80キロ地点ぐらいの雰囲気で、残りの60キロが果てしなく遠い距離に感じました。
ここは着替えポイントで、雨が降ったら靴を履き替えようと思ったのですが、当日は晴天でそのままの靴で再び走りはじめました。しかし得意の下りでも、抜かれることが多くなり、この時点で完走できないかもしれないという不安がよぎりました。
松原湖を過ぎて45キロ5時間28分で通過、このあたりでは木陰がなくなり、直射日光を浴びてとても暑く感じてきました。
そしてヘトヘトになりながら、なんとか50キロの中間点に到達、ちょうど6時間で通過、予定より10分以上早かったですが、もうまともに走れないほど足にきており、制限時間ぎりぎりの勝負になることをこの時点で覚悟しました。50キロは手打ち蕎麦のエイドがあったのですが、長い行列ができていてかなり待つことになりそうだったので、あきらめて走ることにしました。
(その2へ)
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